フラクタライゼーション
フラクタライゼーショは、アートであり、在り方であり、革新的な捉えかただ。
それぞれが個々の宇宙を生きるという在り方の集合体。
そもそも、この世界は幾何学的な粒子の空間に投影されたホログラムを観察者は自分の感情や感覚を通してそれを認識しているに過ぎない。
なので、観察者の在り方や見方で世界は一瞬にして変わる。
それに気付き、自分の感覚を通して世界を見つめてゆくこと、過去のデータや概念を手放しながら、今をまっさらな自分で見ていくことがフラクタライゼーションな在り方。
そのなかで、自分らしさや自然体である自分に帰り、魂のままに行き始めると、周りとの摩擦も生まれるが、それさえも己の発信している世界。
結局周りの世界は自分の内側の投影なのだ。
今を感じることでそれに気付き、どんどんまっさらな自分にかえっていく。
この世界、宇宙でさえも、過去の人間が生み出した概念やデータに過ぎない。
自分が今うみだしているその世界を通して自分を知っていくことは、アートそのもの。
美しささえも全ては自分なのだ。
他者との関係や出来事の必然性さえも自分の在り方を見ているに過ぎない。
宇宙の法則や宇宙のサイクルでさえ、己の営みそのもの。
どこかの国で争いがある事を知ったのも自分の中のもの。自分の中に争いにまつわる感情や倫理的な思考が存在し、それをみているだけだ。
つまりは、観察者がその争いをうみだしている。
目を閉じた世界と目を開けた世界は少し違う。薄っすらと混ざり合う場所、がありそこは幾何学てきな描写の世界だ。
いたる所目を向ける場所、角度にいたるまで完璧な配置とバランスで存在している。
宇宙の法則や過去のデータを知る必要はもうない。一瞬一瞬の目の前の全てに自分を解き放ち、まっさらな自分で五感を全開に感じていけばいい。
感じていることが全てで、過去や未来など存在ず、今という一瞬の連続にすぎないのだから。
今の自分のあり方が今を作っている‥それだけなのだ。